とうとううちの会社でもロボットに仕事を奪われる時がやってきた。
この間の朝礼で、本社からたまに来る社員さんが社内の仕事のAI化について話をしていた。
「数字をまとめる仕事はどんどんロボットに置き換えていきます。
数字をまとめる仕事を一番やってもらっているのは〇〇さんですね。(←うちの部署で一番偉い人)
今後はそういった仕事はロボットにやってもらうので、よろしくお願いします。」
みんな黙って話を聞いていたけど、全員心の中では「一番立場のある人からロボットに仕事を奪われいくんだ」って思ってたはずだ。
少なくとも僕にとっては結構ツボで、その後もスルメを噛むように何度も味わっていた。
僕の今やってる仕事は、中古のCDやレコードの査定。
ある程度は専門知識が必要で、商品の形態とかコンディションによって値段もかわってくるから、まだAI化されるのは先のことだろう。
だけど、もっと進化したら取引履歴や商品状態を読み込んで最適な価格を弾き出し、人間よりも査定ミスを抑えることもできるようになるかもしれない。
作曲の仕事はどうだろうか。
なかにし礼さんはひらめきや直観は開かれた論理だという。
そういった核や種を植え付けることができた歌は残っていく。
膨大な情報をデータ処理できるAIによって、例えば機械的にBGMやサウンドを作るだけの仕事はどんどん淘汰されていくだろう。
しかし膨大な情報をデータ処理するだけの閉じた論理の中から、ひらめきが起きることは決してない。
本物の作曲家は生き残っていく。
とはいえ、AI化の未来は明るいと僕は思う。
人間がより人間らしく、誰もがアーティストとして生きていくことができるからだ。
ロボットに生活を助けてもらいながら、誰もが「好き」に従事する。
元禄の町人文化の復活だ。
そういった話は山口周さんの本にも詳しいですよね。
おわり。